レオナール・フジタ

Leonard Foujita

1886年東京都生まれ。陸軍軍医の家に生まれ、父の上司だった森鷗外の勧めもあり東京美術学校(現・東京藝術大学)の西洋画科に入学。1913年、渡仏。パリのモンパルナスに住み、ピカソやモディリアーニらエコール・ド・パリの画家たちと交流した。手製のなめらかなキャンバスに、面相筆と墨で細い輪郭線を引き、繊細な陰影を施した裸婦像は、「乳白色の肌」と呼ばれて絶賛された。1919年にサロン・ドートンヌに出品した6点の油絵がすべて入選し、会員に推挙される。1929年に凱旋帰国展のために一時帰国。1933年以降は日本を活動拠点とする。戦時中は戦争画の制作に没頭し、戦後は画壇から戦争協力者として批判を浴び、日本を離れパリに戻る。1955年にフランス国籍を取得。1957年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエを贈られた。1959年、72歳の時ランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、レオナールという洗礼名を与えられる。最晩年には、礼拝堂「シャぺル・ノートル=ダム・ド・ラ・ベ(フジタ礼拝堂)」を建設。完成成から2年後の1968年に没する。