モーリス・ユトリロ
Maurice Utrillo
モーリス・ユトリロは1883年、ドガやルノワールのモデルをつとめ、後年、画家として活躍したシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として、パリのモンマルトルに生まれた。幼い頃より祖母が面倒をみていたが、お酒好きで幼いユトリロにも飲ませていたといわれる。その影響か若くしてアルコール依存症となり、20歳の頃、依存症治療のため母シュザンヌ・ヴァラドンは息子に絵筆を与える。1903年にパリ郊外のモンマニー周辺モンマルトルに移る。10年、アルコール中毒の治療のためサノワの療養所に入院。このころから14年ごろまでは「白の時代」と呼ばれており、後年には画家の絶頂期と高く評価されている。13年にユージェーヌ・ブロ画廊で初個展を開催するも展示作品31点のうち2点しか売れなかった。しかし1919年にルプートル画廊で開催された個展が大評判となり、華々しい脚光を浴びた。ユトリロはエコール・ド・パリの画家たちの中にあって、マリー・ローランサンとともに、唯一の純粋なフランス人であった。生まれ育ったモンマルトルを中心に、繰り返し哀愁を帯びたパリの街角の風景を描いた。1955年没。