糸園 和三郎

Wasabro Itozono

1911年 8月4日、大分県中津町に呉服商の三男として生まれる。
1922年(11歳) 骨髄炎にかかり九州帝大付属病院に入院、手術を受ける。
1927年(16歳) 上京、兄の家に寄宿、川端画学校に通う。
1929年(18歳) 前田寛治の主宰する前田写実研究所に入所。
1930年(19歳) 第8回春陽会に初出品、入選する。
第5回1930年協会展に入選。4月、師前田寛治没す。
1931年(20歳) 第1回独立美術協会展に入選し、以後第9回展まで出品する。
1939年(28歳) 美術文化協会(福沢一郎・麻生三郎など)の創立に参加する。
1941年(30歳) 思想統制が厳しくなり福沢一郎、滝口修造氏など検挙される。
12月、太平洋戦争始まる。
1945年(34歳) 3月の東京大空襲により、中津にあった数点を残し、
全作品を焼失する。8月、太平洋戦争終る。
1947年(36歳) 美術文化協会を退会、自由美術家協会に移る(~1966年頃まで)。
1952年(41歳) 第1回日本国際美術展(毎日新聞主催・東京都美術館)に出品する。
1954年(43歳) 北九州自由画室(小倉)に、講師として迎えられる。
1955年(44歳) 「糸園和三郎個展」(大分合同新聞社主催)を大分市にて開催。
1957年(46歳) 第4回日本国際美術展で佳作賞を受賞。
1958年(47歳) 日本大学芸術学部講師に推挙される。
1960年(49歳) 四人展(麻生三郎、糸園、山口薫、脇田和)を日本橋画廊で開催する。
年末、中津に帰省して約1年間の療養生活を送る。
1962年(51歳) 現代絵画の展望展(東京国立近代美術館主催)に招待出品。
1964年(53歳) 自由美術家協会を退会、以後無所属となる。
1966年(55歳) 「糸園和三郎展」(名古屋画廊)を開催する。
1968年(57歳) 第8回現代日本美術展に「黒い水」「黄いろい水」を出品し、
K氏賞を受賞する(東京都美術館)。
「綾杉会展」(名古屋画廊)に牛島憲之ら4人出品(21回展まで)。
1969年(58歳) 第12回安井賞展に「黒い水」「黄いろい水」を出品。
1970年(59歳) 三人展(麻生・野見山・糸園)を、銀座・みゆき画廊で開催。
1976年(65歳) 『糸園和三郎作品集』を出版する。日大芸術学部の教え子たちに
よる「土日会」が結成され、以後賛助出品をする。
1978年(67歳) 「糸園和三郎展」(北九州市立美術館、大分県立芸術会館)を開催、
初期から近年までの約140点を展示。
1983年(72歳) 「糸園和三郎画集」を出版する。
1995年(84歳) 「糸園和三郎とその時代展」(大分県立芸術会館)を開催する。
1997年(86歳) 「糸園和三郎展」(杉並区民ギャラリー)を開催する。
2001年 6月15日逝去、享年89歳。

2011年 「生誕100年・糸園和三郎展」(大分市、中津市の美術館)を開催
「生誕100周年糸園和三郎とその仲間たち展」(ツイン・アート・
ギャラリー 福岡市)を開催する。