パウル・クレー

Paul Klee

1879年12月18日、スイスの首都ベルン近郊のミュンヘンブーフゼーという小さな町に生まれる。両親は音楽家で、1歳の頃ベルン市内に移り、高校卒業までを過ごす。幼いころから絵を描くことが好きで、ヴァイオリンの名手でもあり生涯弾き続けた。また、文学にも関心が高かった。
1898年ドイツのミュンヘンに出て、1900年に美術学校へ入学する。しかしわずか1年後退学し、ベルンに戻った後半年間のイタリア旅行に出る。1906年、ミュンヘンで出会ったピアニストのリリー・シュトゥンプフ結婚し、ミュンヘンに住む。
1912年、カンディンスキー、マッケ、マルクとともに「青騎士(ブラウエ・ライター)」に参加。1914年に仲間とチュニジアを旅行し、この時期鮮やかな色彩を伴う独自の画風を確立する。第1次世界大戦ではマルケら仲間を失い、自身も従軍する。同時に作品の発表も重ね、次第にクレーの名は知られるようになる。大戦後設立された総合造形学校「バウハウス」でカンディンスキーとともに1930年までの10年間教鞭をとる。1933年ナチスの弾圧を逃れスイスへ亡命。皮膚硬化症を患い1940年ベルンに没する。2005年クレーが眠るベルン郊外にパウル・クレー・センターが設立され、4,000点以上が収蔵されている。