【福岡アジア美術館】「博多画傳三傑展博多画傳三傑展-仙厓・渓仙・善三郎- 博多町人文化の華」 2016年11月25日(金)~29日(火)
2016/11/25
2016/11/29

仙厓義梵、冨田渓仙、児島善三郎、三者の作品から共通して感じられるものは、生の人間像である。
喜びや悲しみを内包しながら感動し、笑う姿、たくましく生きる人間像である。
また、自然を前にしては、素直にその美しさを表現する姿勢である。自然をねじ伏せて、作り上げる美ではない。
普通、絵画は構想、取材、下描き、修正、本画製作となるが、彼らは現場で得た感動や、情動をそのままに表現する。
だから生の感動が伝わって来る。
そのためか、見ようによっては子供が描いたように見えることもあるが、本物というものはそんなものではないだろうか。
時代を超えて人々の心に刻み込まれてゆく本物の美の形、美の伝承をご鑑賞下さい。
会期:2016年11月25日(金)〜29日(火) 会期中無休/入場料:無料
時間:10:00-20:00(最終日は18:00まで)
会場:福岡アジア美術館 7F 企画ギャラリーA
住所:福岡市博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7階
※アクセスは下記
主催:博多画傳三傑実行委員会
仙厓義梵
1750年/岐阜に生まれる。
1789年/博多聖福寺第百二十三世となる。
1837年/八十八歳で遷化。
白隠、良寛と並んで日本近世禅林の三傑と言われる、江戸時代を代表する禅僧。
軽妙洒脱な禅画を数多く残し、風刺に満ちた警句や、博多の民衆との交流から生まれたユーモアに溢れた逸話でも知られる。
冨田渓仙
1879年/福岡市博多区麹屋町9番地、現在の下川端町に生まれる。家は代々黒田藩御用の素麺製造業を営む。祖父は仙厓禅師と親交が合った。
1896年/画家になるために京都に行く。都路華香に師事。
1903年/仙厓に傾倒し始める。
1914年/横山大観に勧められ再興日本美術院展に出品。院共友に推される。河東碧梧桐やポール・クローデルなどと親交を深める。
1936年/57歳で死去
横山大観はその早すぎる死を悼み、数百年に一度しか現れないような偉い画家であるとの言葉を贈った。
児島善三郎
1893年/福岡市中島町に生まれる
1911年/福岡県立中学修猷館を卒業
1913年/画家を目指し上京。二年後病のために帰郷
1920年/再上京
1925年〜28年/渡欧
1930年/独立美術協会設立に参加
代々木・国分寺・荻窪とアトリエの新築移転毎に画風を進化させ、風景や人物画、盛花などに新境地を開く。
1962年/69歳で逝去
日本近代洋画の作家の中でも際立ったコロリストとして知られる。又、西洋美術の骨格を大事にしながら、東洋的油彩画の完成者として現在もアジアの美術市場で高い評価を得ている。
<アクセス>
福岡アジア美術館 7F 企画ギャラリーA
福岡市博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7階
市営地下鉄中洲川端駅下車、6番出口より徒歩すぐ
喜びや悲しみを内包しながら感動し、笑う姿、たくましく生きる人間像である。
また、自然を前にしては、素直にその美しさを表現する姿勢である。自然をねじ伏せて、作り上げる美ではない。
普通、絵画は構想、取材、下描き、修正、本画製作となるが、彼らは現場で得た感動や、情動をそのままに表現する。
だから生の感動が伝わって来る。
そのためか、見ようによっては子供が描いたように見えることもあるが、本物というものはそんなものではないだろうか。
時代を超えて人々の心に刻み込まれてゆく本物の美の形、美の伝承をご鑑賞下さい。
会期:2016年11月25日(金)〜29日(火) 会期中無休/入場料:無料
時間:10:00-20:00(最終日は18:00まで)
会場:福岡アジア美術館 7F 企画ギャラリーA
住所:福岡市博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7階
※アクセスは下記
主催:博多画傳三傑実行委員会
仙厓義梵
1750年/岐阜に生まれる。
1789年/博多聖福寺第百二十三世となる。
1837年/八十八歳で遷化。
白隠、良寛と並んで日本近世禅林の三傑と言われる、江戸時代を代表する禅僧。
軽妙洒脱な禅画を数多く残し、風刺に満ちた警句や、博多の民衆との交流から生まれたユーモアに溢れた逸話でも知られる。
冨田渓仙
1879年/福岡市博多区麹屋町9番地、現在の下川端町に生まれる。家は代々黒田藩御用の素麺製造業を営む。祖父は仙厓禅師と親交が合った。
1896年/画家になるために京都に行く。都路華香に師事。
1903年/仙厓に傾倒し始める。
1914年/横山大観に勧められ再興日本美術院展に出品。院共友に推される。河東碧梧桐やポール・クローデルなどと親交を深める。
1936年/57歳で死去
横山大観はその早すぎる死を悼み、数百年に一度しか現れないような偉い画家であるとの言葉を贈った。
児島善三郎
1893年/福岡市中島町に生まれる
1911年/福岡県立中学修猷館を卒業
1913年/画家を目指し上京。二年後病のために帰郷
1920年/再上京
1925年〜28年/渡欧
1930年/独立美術協会設立に参加
代々木・国分寺・荻窪とアトリエの新築移転毎に画風を進化させ、風景や人物画、盛花などに新境地を開く。
1962年/69歳で逝去
日本近代洋画の作家の中でも際立ったコロリストとして知られる。又、西洋美術の骨格を大事にしながら、東洋的油彩画の完成者として現在もアジアの美術市場で高い評価を得ている。
<アクセス>
福岡アジア美術館 7F 企画ギャラリーA
福岡市博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7階
市営地下鉄中洲川端駅下車、6番出口より徒歩すぐ
- 開催期間
- 2016/11/25-2016/11/29