裸婦の少女

制作年
1890年から1891年頃
素材・技法
油彩
サイズ
F6号 41×31.8 cm

展覧会歴

1912年6月:パリ、デュラン=リュエル画廊「Renoirの肖像」展。
1924年1月:ニューヨーク、デュラン=リュエル画廊「Renoirの絵画展」。
1937年5月-9月:ニューヨーク、メトロポリタン美術館「Renoirの特別展示会」。
1971年10月-11月:東京、西武ギャラリー「Pierre-Auguste Renoir回顧展」など。

掲載歴

ジュリアス・マイヤー=グレーフェ「Renoir」(1929年)など、多数の図録や書籍で紹介。
作品コード
13879

ピエール・オーギュスト・ルノワール

モネとともに並び称される印象派を代表する画家。1841年、フランス中南部の町リモージュに貧しい仕立屋の息子として生まれ、3歳の頃に一家でパリに移る。13歳で磁器の絵付け職人になるが、産業革命の影響で失業し、絵画の道へ進む。
1861年20歳の時、パリでシャルル・グレールのアトリエに入りモネやシスレーら後の印象派メンバーと出会う。1869年にモネとともに屋外で制作している際、パレット上で色を混ぜずに、そのままキャンバスに点として置く、筆触分割の手法を編み出したと言われる。
サロンでの落選が続いたルノワール、モネら仲間の画家たちと1874年に、のちに「第一回印象派展」とよばれるようになる展覧会を開催する。ルノワールは印象派展には第三回までと、1882年の第七回に出品するが、次第に印象派の運動から離れていく。この頃、シャルパンティ夫妻と言ったパトロンを得、肖像画家として成功を収めるようになる。
1880年代は「アングル様式時代」と呼ばれ、イタリアやアルジェリアを旅行し、そこで出会った古典的な芸術に大きく影響を受け、厳格な輪郭線と量感表現に重きを置いた作品を描いている。1890年以降の円熟期には柔らかな色彩と光を特徴とし、温かい色調の女性裸体画を数多く制作している。
晩年リウマチに苦しめられたルノワールは南フランスのカーニュ=シュル=メールに拠点を移し、動かない右手に絵筆を縛りつけながらも精力的に制作をつづけた。1919年没。