追悼 田部光子展

2026/03/07 2026/03/22

みぞえ画廊東京店

2024年3月6日、田部光子先生は91歳でその生涯を閉じられた。私が知らせを受け、新聞でも報じられたのはそれからひと月以上経ってからだった。福岡の前衛アートシーンをけん引し、常に第一線を走り続け、アーティストとして生きることに己の全てを注いでいた先生も、穏やかな最期だったと伺った。
最後にお会いしたのはいつだったか。お付き合いは2012年から始まり、みぞえ画廊では計5回の個展を開催させていただいた。先生はいつも新たな挑戦を試みていて、私はただただエネルギーに圧倒されるばかりだった。2017年の個展を最後に、年齢や体調のこともあり会う回数が少しずつ減り、そうこうしているうちにパンデミックの世の中になり、それっきりとなった。
2022年に福岡市美術館で開催された、「田部光子展『希望を捨てるわけにはいかない』」の展示を見た時、私は田部先生の事をほとんど理解できていなかったことを知った。九州派時代から、様々な社会問題やジェンダー問題と向き合い、葛藤を抱えながらもひたむきに美術家として生き抜いてきた生の姿がそこにはあった。
私は田部先生にとってどんなギャラリストだったのか、主なきアトリエの遺作を整理しながら、自分にその資格があるのかと自問自答し、それでもやはり美術家田部光子の生きざまを世に問わなければならないと本展を企画した。九州派、前衛、フェミニズム、そのどの言葉でも田部光子をひとくくりにすることはできない。
田部光子を追う旅はまだまだこれからだ。
みぞえ画廊 阿部和宣

トークイベント
🍎Day1
3/7sat 15:00~

「田部光子作品の魅力を語る」
語り手:宮津大輔(アートコレクター・横浜美術大学教授)、阿部和宣(みぞえ画廊)

田部作品のコレクターでもある宮津氏と、ギャラリストとして接してきた阿部が、近年フェミニズムの観点からも再評価が進む田部光子作品について、縦横無尽に語り尽くします。九州派や集団蜘蛛・森山安英との関係性から、反原水爆実験や公害、フェミニズム、音楽家ボブ・ジェームスとの交流、更には林檎と《健康作品》シリーズや、9.11.に際しての反テロリズムに至るまで、その全貌を時にアカデミックに、また、作家との想い出話を挟みながら、田部芸術の全貌を紐解いてゆきます。

🍎Day2
3/20fri 15:00~

「前衛女性アーティスト、田部光子の軌跡」
語り手:小勝禮子(美術史・美術批評・元栃木県立美術館学芸課長)

2000年代以降より企画展等で度々田部光子を取り上げ、その生涯を追いかけ続けてきた小勝氏。台湾に生まれて、九州、福岡を中心に1950年代末から亡くなる2020年代まで、60年以上にわたって、美術家として活動をつづけた田部光子の、時代やジャンルを超えた国際的アートの真髄を語ります。


たべみつこ 略歴
1933年 日本統治下の台湾生まれ。戦後、福岡に引き上げ。
1953年 岩田屋百貨店に入社し、絵画部でデッサンを学ぶ。
1957年 前衛美術集団「九州派」の創設メンバーとして参加。
1974年 第1回九州女流画家展を主宰(以降、第12回迄開催)。
1988年 「主婦定年退職宣言」をする。
1994年 ニューヨークでの初個展を開催
    (以降ニューヨーク、ワシントンD.C.、パリで個展を9回開催)。
1997年 『受胎藝術』(花書院)を出版。
2000年 第25回福岡市文化賞受賞。
2001年 『二千年の林檎 わたしの脱芸術論』(西日本新聞社)を出版。
2003年 九州力-世界美術としての九州(熊本市現代美術館)。
2005年 りんごの秘密(ひろしま美術館)。
    前衛の女性1950-1975(栃木県立美術館)。
2013年 田部光子展 人生が芸術である(福岡市美術館企画展示室)。
2015年 TMT・ART・PROJECT 3丁目芸術学校を開設。
2016年 第24回福岡県文化賞受賞。
2022年 田部光子展「希望を捨てるわけにはいかない」
    (福岡市美術館現代美術室A・B)。
2024年3月6日(91歳) 逝去。
2025年 アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦(東京国立近代美術館)。
    プラカードのために(国立国際美術館)。
開催場所
みぞえ画廊東京店
開催期間
2026/03/07-2026/03/22